モーリス・ユトリロ(1883〜1955)
『ピュトーの教会』


ヴァラドンの私育児としてパリに生まれる。1891年スペイン人の画家、建築家、美術評論家であるミゲル・ウトリリョが同情して認知し、以降モーリス・ユトリロを名のる。早くから異常な酒癖があり、1900年にはアル中で入院、治療法として母親が医者のすすめにより絵を描かせたが、その後も、入退院をくりかえした。絵は独学。画壇からひとり離れ、パリの街角や路地裏など身近な風景を哀愁をこめて描いた。1909年から12年頃までは「白い時代」と呼称される。ダクスで没した。